2015年01月24日

ヨーロッパ中に広まるシャルリー・エブド攻撃後の警察の弾圧 19 January 2015


 「私がシャルリーだ」デモに参加する世界の指導者の写真が、実際は人通りのない護衛だらけの場所での行進を後に「行進の先頭に立つ」と美化された捏造写真だったのはもう公知の事実だ。心底、ジャーナリストの死を悼みそうした行為を再発を願うだけなら、それはそれで結構なことだが、百戦錬磨の政治家連には別の目的があったようだ。予想される国内治安悪化/騒乱を力で封じ込める為、警察国家化(警察の軍隊化、嗚呼中国の武装警察か)を一層押し進める口実に利用し始めた。ヨーロッパだけでないが、対テロ戦争2.0の本格開始だろう。表記をつまみ食い。
《摘要》
1。土曜日、ベルギー当局が、30年の内で初めて、国中に拡散した数千の警察を強化するため、空挺隊員を派遣した。彼らはアントワープ港にあるユダヤ人機構、米国、イスラエル及びEU野茂のを含む外国大使館とNATO施設を護衛する予定だ。ベルギー政府は、1980年代以来初めて、四点の治安尺度の下治安水準を2から3に上げた。

2。2人のイスラム主義容疑者が殺害されたベルビエでの木曜日の警察急襲に続いて、主張される所テロリスト聖戦細胞に所属する13人の容疑者をベルギー警察が逮捕した後、軍事力派遣がやって来た。12別々の住宅急襲の後、ベルビエでの出来事の勃発に際して、ベルギー当局はベルギー警察力成員を殺害する「具体的な計画」が停止されたと主張した。

3。ヨーロッパ中の支配エリートはシャルリー・エブド攻撃を長いこと準備されて来た警察国家施策を踏み上げるのに利用している。先週、仏首相マニュエル・ヴァルスは因エリジェンス職員にeメール、電話、一データやインターネット偵察を許す2013年偵察法の改定を提案した。

4。イスラム主義者の採用がシリアや残りのアラブ世界に於ける体制転換のためのNATO戦争に代理戦力として機能した限り、ヨーロッパ諸政府は武器や資金の手交で彼らを後援した。これら政府は市民のシリア旅行を許し急襲や大統領バシャール・アルアサド爆撃実行の仕方を學ばせた。ヨーロッパのインテリジェンスは様々なシリアの聖戦グループに所属する容疑者を仔細に追いかけた、各主要ヨーロッパ国から戦闘に数百人が行ったからだ。

5。ベルギー高官によれば、ベルギーだけで最大350人の市民がシリアやイラクへ戦いに行った、ヨーロッパで一人当たり最高の数字だ。「凡そ100人が戻って、インテリジェンス機関に監視されている」、ベルギーの内務相兼副首相ジャン・ジャンボンがBBCワールドに語った。

6。メディアや国家高官により鞭入れされている反動的気分が亦ヨーロッパで人種的緊張を沸騰点に迄齎している。シャルリー・エブド攻撃以来、ムスリム人口に対する暴力がフランスで増加すること重大だ、国家とメディアが反ムスリム感情を煽っているからだ。

7。先の水曜日、47歳のモロッコ人の男、モハメド・エルマコウリがアヴィニョン近くのボウセット村で好戦的な隣人に妻の面前で刺され死亡した。エルマコウリは17回刺された。28歳の攻撃者は無理矢理隣人の家の玄関戸をこじ開け、エルマコウリ攻撃前に叫んだ「私がお前の神だ、私がお前のイスラムだ」。

8。これが、シャルリー・エブド攻撃以来50回超の一連の反ムスリム攻撃の最新版だ。仏ムスリム宗教評議会(CFCM)のイスラム嫌い監視団隊長、アブダラ・ゼクリは、「54件の反ムスリム行為水曜日以来起った」という内務省数字を引いた。これには21の「行為」(オード地域でのピストル射撃、ルマンでの手榴弾爆破訓練、ローヌ地域でのモスク隣接ケバブ・スタンドでの爆発)それに33件の「驚異」、「特に侮辱」が含まれる。

9。シャルリー・エブドへの抗議が北西アフリカ中で起った。そこはリビアとマリでの仏帝国主義戦争それと上昇する社会的危機により既に荒れ果てている。ニジェール、マリ、セネガル、モウリタニアそしてアルジェリアの首都は−全部元仏植民地だ−シャルリー・エブド最新の反ムスリム戯画に対する抗議を見た。

10。少なくとも10人がニジェールでは預言者マホメットの戯画表現を巡る2日間の暴力的抗議で死亡して来た。AFPはニジェール大統領マハマドゥ・イスフの発言を引いた。彼曰く、「ニアメでは、集計は5人死亡、全員民間人だ」。加えて、1日前のニジェール第2の都市ジンデールでの集計が死者4人から5人に上った」。

11。アルジャジーラに拠れば、「地元イスラム指導者飛び掛けの集会を当局が禁止した後、土曜日に少なくとも6つの教会に放火し、ニアメイの店舗を略奪した投石する若者群衆に警察は催涙ガスを発射した。警察署が攻撃され少なくとも2台の警察自動車が燃やされた」。(止め)
***
 旧植民地に残存する旧宗主国の刻印、利権・影響力復権を求める動きは現代でも続いている。そして多分推定するに流れ込む移民は旧植民地の人々でないかと思われる。煎じ詰めてゆくと旧植民地の人々を依然として差別し、支配、排斥する動きが「反ムスリム運動」なのかもしれない。

 それにしても「対テロ戦争」2.0は始まっていた。「私がシャルリーだ」運動はその証拠だったかもしれない。勿論,参加者の動機はもっと純朴に「報道の自由」「反テロ」だけだったと思うが。
posted by 三間堀 at 11:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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