介入には多様な手段があるが、例えば「体制転換」がある。目的は勿論仕掛け側に都合の良い体制作りだが、第二次大戦後の日本ほどうまく行くケースは稀で、米国の仕掛けたアフガン、イラク、リビアは政権を倒したものの事後の建国は悉く失敗だ。介入によって却って自体が泥沼化、悪化するケースが多いのだ。表記は介入主義の危うさ/寿命を検討したものだ。
【骨子】
1。資本主義西側の全政府によって数十年間実践された介入主義政策は経済学者が予測した効果全てを齎してきた。戦争と内乱、自薦独裁者の群れによる大衆への仮借ない弾圧、大量失業、資本の浪費、飢餓がある。
2。しかしながら、介入主義の危機に導いたものはこれらの破局的出来事ではない。介入主義の教条主義者とその弟子たちは避け得ざる資本主義の様相としてこれら望まれぬ結果全てを説明する。介入主義政策の失敗は言外の教条の人気を一向に損なわない。それらはこれら教えの権威を減ずるどころか強化するものと解釈される。邪な経済理論が歴史的経験により単純に否定され得ないように、介入主義のプロパガンダ者は、彼らの撒き散らしてきたメチャメチャな破壊にも拘らず、前進が可能であり続けてきた。
3。それでも介入主義の年齢が終わりに近づきつつある。介入主義はその潜在能力全てを使いきり蘇芳滅せねばならない。
準備資金の消尽
4。全ての介入主義的政策を強調する理念は人口のより豊潤な部分のより高い収入や富がより豊かでない人々の条件改善に自由に使用し得る資金ということだ。介入主義的政策の精髄は他のグループに与えるため一つのグループから取り上げることだ。それは没収であり再分配だ。各手段は、貧者の利益のために富者を制限することが公正だと宣言することで、究極的に正当化される。公共財政分野では、所得及び財産への進歩的な課税が最も特徴的なこの教条の表明だ。富者に課税して歳入を貧者の条件改善に費やすが現代予算の原則だ。産業関係分野では労働時間の短縮、賃金上昇、それに他の千もの手段が、従業員を選り好みし雇用主に荷物を負わせるという想定で、推奨される。政府及び社会事象の核問題が独占的にこの原則の観点から取り扱われる。
5。分かりやすい実例が、国有及び公有企業の営業に適用される手段で、提供される。これらの企業は非常にしばしば財務的挫折に結果する。つまり、彼らの感情は定期的に赤字を示し国家或いは市財務局の重荷となる。欠損が事業体の公共行動の悪名高い非効率性の所為かどうか或いは商品あるいはサービスが顧客に売られる価格の未熟の所為かどうか調べることは無益だ。もっと問題なのは納税者がこれら欠損を埋めねばならない事実だ。介入主義者はこのやり繰りを十分承認する。彼らは情熱的に他のあり得る解決策を拒む。つまりその事業体を指摘事業体に売却するか、これ以上赤字が残らぬようなより高い価格まで顧客に請求する価格を上昇させることにだ。これら提案の第一彼らの目には明白に反動的だ、何故なら歴史の不可避的な趨勢がもっともっと社会化する方に向いているからだ。第二は「反社会主義的」とみなされる、より重い荷重を消費する大衆に課すからだ。納税者、つまり富裕な市民に荷重を担わせるようにすることがより公平なのだ。彼らの支払い能力は国有化された鉄道や自治体経営の地下鉄、トロリー、バスに乗る平均的な人々のそれよりも大きい。そうした公益施設を自力経営にすべきだと依頼することは、言わば介入主義者、正統派財政の古風な理念の遺物だ。人は同様に自力で道路や私立学校を造ることを目指してもよい。
6。この赤字政策の唱導者と言い争う必要はない。この支払い能力原則への依存は今でも課税で巻き上げられる収入や財産が実在すること次第だ。課税やその他介入主義的手段でひと度こんな余剰資金が蕩尽されるや最早回復不能だ。
7。これがまさに、大概の欧州諸国における問題の現況だ。米国はそんなに遠くまで未だ行っていない。だがその経済政策の現実の趨勢が即時に根本的に変更されないなら、数ヶ年のうちに同じ状態になるだろう。
8。討論のために、支払い能力原則の全面的勝利が齎さずにおかず、そしてその在世展望に集中せざるを得ない、他の結果すべてを無視しても良いかもしれない。
9。追加的公共支出を唱導する上で介入主義者は利用可能な資金に限りがあるという事実に気づいていない。彼は一つの部門での増加する支出が他の部門にその制限を押し付けることを悟らない。彼の意見では大量の利用可能な資金がある。富者の収入及び富は無料で利用可能だ。学校へのより大きな費用を推奨するに当たって、教育により多くを費やすのが良いことだろうという点を単純に強調する。彼は学校への予算割り当て引き上げが他の部門、たとえば、健康のそれを引き上げるよりももっと好都合だとは敢えて証明しない。重大な論争が公共支出制限及び課税負担軽減有利に進められるかもしれないということが彼には決して起こらない。予算削減のチャンピオンは彼の目に富者の明白に不公正な階級利益の単なる弁護者にすぎない。
10。所得及び相続税率の現在の高さを以ってすれば、介入主義者がすべての公共支出のカバーをこの準備金は急速に縮小している。大概の欧州諸国では実際上全く消失した。米国では税率の最近の亢進がほんの無視し得る歳入結果を生んだが、遥かに低い率で停止した進捗によって生まれるかもしれないものを超えるとっころだ。富者用の高い追加税率が介入主義的ディレッタント及びデマゴーグに非常に人気ありだけれども、それは歳入にほんの穏便な追加を確保するだけだ。公共支出額への大規模な追加が「ずぶ濡れになる富者」により用立てできぬばかりでなく、重荷が大衆により担われねばならぬことが、日々もっと明白になる。介入主義年齢の伝統的課税政策、進歩的課税の光栄ある工夫と気前の良い支出が、その馬鹿げさを最早隠し得ない地点にまで運んでしまった。民間支出は入手可能な所得の規模次第である一方、公的歳入は支出に従って規制されねばならないという悪名高き原則は自己否定だ。これからは、政府は1ドルが2度/2倍には使えない、様々な政府支出が相互に衝突するということを悟らねばならないだろう。追加的政府歳出の各1ペニーが主たる重荷を他のグループに移行させることに今まで意向を持って来たまさにその人々から徴収されねばならないだろう。補助金獲得に不安な人々は補助金用の請求書を自身の勘定にせねばならぬだろう。公有され運営される企業の赤字は人口の大きな塊に請求されるだろう。
11。雇い主ー雇われ人関係における状況は相似だろう。人気のある教条は賃金稼得者が搾取階級の不労所得を犠牲にして「社会的利益」を積み上げていると論争する。ストライキ者は、そう言われるのだが、消費者にでなく「経営者」に対してストを行う。労賃が増えたからとて製品価格をあげることは全く筋が通らない。相違は雇い主により生まれねばならない。しかし、もっともっと多く起業家及び資本家のシェアが税金、高率賃金や従業員の「社会的利益(/福祉)」それに価格天井により吸収される時、そうした緩衝材機能としては何も残らない。その時、全体の動きとしての各賃金の上昇が製品価格に影響し、そして各グループの社会的利益が他のグループの社会的損失と全面的に呼応せねばならないことが明瞭となる。各ストライキは、長期でないものだけでなく短期でさえも、残りの人民に対するストライキになる。介入主義社会哲学の枢要な点は、永遠に絞られ得る尽きぬ資金の実在だ。介入主義教条の全体が泉の干上がる時に崩壊する。サンタ・クロース原則が自壊する。(止め)
(その2へ続く)