2017年06月08日

第30回アセアン・サミット:南シナ海に関するアセアンの再評価 AMTI  JUNE 2, 2017



 表記のつまみ食い。
《摘要》
1。4月29日マニラで開催された第30回アセアン・サミットの結果は幾分失望だったー驚かないけれども。議長声明は南シナ海に於ける干拓と軍事化という進行中の懸念と対処するのに近づかなかった。そして事実、それを述べさえしなかった(ラオスやマレーシアでの最近の声明と対象的だ)。また同声明は少しばかり国際法の重要性を変えた。同文書はまさに国連国際法条約(UNCLOS)を述べたけれども、それが提起したのは希釈された一般文脈の中であって南シナ海の章にではない。従来の文書が「国際法に合致した」南シナ海紛争の平和的解決を強調したのに対して、今年の声明は「普遍的に認知された国際法の原則」とのみ引用し、2016年南シナ海仲裁裁判所勝訴の衝撃を脇に除けた。

2。今や明瞭だ、アセアンが南シナ海での挑発的な行動に対する統一した政治前線を育成するのに失敗したのだ、しかもアセアン議長声明が中国挑発を避けるために初期年々の懸念を取り下げた。その時問題はーアセアンの弱さが中国のより良き収容への移行を強いたのかだ。アセアンは、人道援助/災害救助や進行中の北朝鮮危機といった他の分野へ大きく歩むためにこんがらかった南シナ海問題から後退しなければならないのか。

3。答えは「否」だ。アセアンは南シナ海紛争で演じるべき役割をまさに持つ。アセアンが国際社会の意識を南シナ海に運んできた。そして報道発表、議長声明それに共同宣言を発行することで国際的認識を形成してきた。しかしながら、これら努力は南シナ海問題に対処できる見掛け上唯一の多国間地域枠組みと配役する二次的効果しか持ってこなかった、だがそれは真実でない。だから、南シナ海に於けるアセアンの有用性をもっと均衡のとれたやり方で評価し、南シナ海に関するアセアンの制度的制約を認識するのが重要だ。

4。第一、地域的機構たるアセアンは特定問題対処のため設計されていない。アセアンは、東アジアに於ける東南アジアの政治的限界化と外部役者からの過剰な介入を防ぐという最終目的で加盟諸国のより広い国益を合算する機構だ。これを超えて、各加盟国は自身の利益と政治的立場を持つ。ヴェトナム、ラオス、ミャンマー、それにカンボジアが1990年代アセアンに加盟後もっと鋭くなった違いだ。南シナ海問題を含め伝統的な安全保障問題にこの集団的な行動がつきまとうことが認識されるべきだ、そして有りそうにないけれども、2012年カンボジアでのアセアンの共同声明採択失敗のような事故が再び起こるかもしれないのは全くあり得る。

5。第二、アセアンは南シナ海に関してどんな具体的公式声明のための統一戦線を提供しそうにない。アセアンが顕示的に2016年南シナ海仲裁勝訴を議論するのは、不可能でないにせよ、極度に困難だ。この点は2016年7月12日の勝訴発表前後に共同声明或いは宣言発行にアセアンが繰り返し失敗したことに明らかだ。

6。第三、議長声明は南シナ海でのアセアン団結の指標でない。共同声明と違って、議長声明は共通合意文書でなく、アセアンの政治的立場全体を代表することを意味しない。議長声明だけでアセアン政治姿勢や外部大国収容への移行の判定を行使する価値はない。声明の調子はどの国が現在議長か次第で時折変えられるし正に変わる、そしてその首尾一貫性は想定されない筈だ。人は共通合意に達しないアセアンの無能を公平に叫びたてることができるが、組織全体で語れば中国収容は全く別ごとだ。
【続きはこちら😞
posted by 三間堀 at 09:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする